映画評・書評・その他日常について

映画を観て・本を読んで、何を思ったのか?についての覚書です。
また、何気ない毎日の中の出来事についての覚書でもあります。

心のこり

うさぎが旅立ってしまってからもうすぐ5か月になるけれど、どうしようもなく心のこりがある。だからなのか、あたらしいうさぎを家に迎える気持ちになれない。


私のうさぎに関する記憶には二種類あり、その二つは断絶していて、なめらかにつながることができていない。
一つは元気で若々しかった頃のうさぎ。遠くで私の足音や匂いを感じただけで、嬉しくてバタバタとアピールしたり、近づいてきた元気で愛らしいうさぎの姿。
もう一つは病気になった痛々しい姿。私たちはそれに気づくことができなかったのだが、おそらく病気になった頃から、うさぎはケージの奥で壁側を向いてじっとしていた。
そうして、どんどん弱っていき、でも弱っていくことを頑なに私たちに分からせないようにして、一人でケージの奥で壁に向いて、一人で耐え忍んでいたのだ、今、思えば。


病気に気づいてから死んでしまうまでも数か月、私はどんどん弱っていくうさぎにどう接したらよいのか?何をしてあげたらよいのか?分からなかった。だから、飼い主である私ではなく家族主導でケアがなされた。ずっとずっと一番の仲良しだった私が、うさぎからも一番避けられた。


死んでしまった日、仕事から帰ったら、うさぎはケージの中でぐったりしていた。家族は、もう今日かもしれない、と言っていた。それなのに、私に気づくと、何ヵ月ぶりかで身体をなんとか自力で起こして、近くまでやって来て、元気な頃の様に「なでて」と言い、私からしばらくなでられていた。そうして疲れると、またケージの奥に戻っていき、苦しそうな息をつきながら横になってしまった。


最期は、私の側のかごの中で迎えた。どんどんどんどん息が遠くなった。静かに死んでいった。うさぎが久しぶりに見せてくれた「なでて」は、私への最後の挨拶だったのかもしれない、と思った。


どんどん弱っていくうさぎに何をしてあげれば良かったのか?今でも分からない。自分がうさぎから遠ざけられることにどこか傷ついていたのかもしれない私は、積極的にうさぎに関わっていくことができなかった。弱っている姿を仲間に見られたくないといううさぎの習性を聞きかじっていて、さらにどうしてよいのか分からなかった。もっとなでてあげたかったし、(元気な頃から嫌いだったけれど)抱っこしてあげたかった。


私がとてもうさぎを大切に思っていることを、どうにかしてうさぎに分かるように伝える努力をすればよかった。

今さらだけど、そう思っている。

ごめんね、うさぎちゃん。伝えられなくて。伝わっているといいのだけれどね。




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