映画評・書評・その他日常について

映画や書籍についてのブログです。
映画を観て・本を読んで、何を思ったのか?についての覚書です。
また、家事や旅行が好きです。
何気ない毎日の中の出来事についての覚書でもあります。

気づいたこと

三連休を通して、いろいろなことを考えていた。
一つの収穫は、自分についてまた少し気づいたこと。


職場における自分の良い点と悪い点を自己評価していたら、初めて気づいた。チームワークが大切・協力関係が大切と言いながらも、立場的にそれが許されることもあって、私はかなり自分の感覚に自信を持ち、チームの人たちに事前相談もなく上司に許可を取り付け、新しいことに取り組んでしまうところがあるのかもしれない。


そして、それがこれまでは結果に結びついてきたこともあり、自分の感覚にさらに信頼をおくようになっているのだろう。一緒に取り組んでくれる人たちの気持ちなど考えずに。若手職員それぞれの苦手そうな部分をサポートすれば、彼らにとっても職業生活において良い経験につながるという勝手な自分の判断によって。そしてそれを今でも、それくらいのことは普通のことだと思っている。


職場での私の人生がうまく回らなくなったのも、それ以外の場所でもうまくいってないように感じているのも、根は同じなのかもしれない。自分がある程度大きな枠組みを提出し細かい修正をその都度かけ、最終的に全体の責任をとれば、いつでもどこでも、自分の好きなことを好きなようにしても良いと私は思い込んでいて、それを実行している。


今でも、それが悪いこととは全く思えていない。けれども、どこか独善的だし、結果を独り占めしていると思われるところはあるのかもしれない。私以外の人も様々な意見や思いがある。けれども、それをいつでも言っても良いといいながらも誰もそれらしいことを言ってこないのは、私が彼らとの間にそういう回路を築けていないのかもしれない。


けっして私自身はそんな風には思っていないけれども、私が彼らを同僚とは見ずに、私の思いを実現するための存在と思われているのかもしれない。私の勢いや力がおそらくは強すぎて、彼らが自分の思いを表現することをためらわせているのかもしれない。そういう先輩って、力がなくなれば、目障りな存在だろう。多分それが今の私だ。


昨年、身体を壊す前までは、彼らに付け入る隙を与えないことで、私の仕事振りは有無を言わさず彼らを圧倒していたのだろう。それは、決して、尊敬されているわけではなかった。それが、身体が思うように動かなくなり、彼らにその分負担をかけるようになり、それでいてできることが少なくなった負い目を感じ、より頭を働かせてしまい、その状況を改善するような新たな方法を探し実行してしまった。彼らの不満は、職場で目立つことをする私への他の職員たちの不満と連動した。そういうことなのだろう。


私の同僚は、新入社員と元新入社員の若手だ。これまで新人教育を任されてきた。もし、教育係としての私にまだできることがあるとすれば、なんとか彼らとの間に回路を復活させて、教育とは感じさせないでそれでもやはり教育をすることなのだと思う。自分の痛みや恐怖、不安を乗り越えて、自分の心身に負荷をかけて、それでも、このまま他の人の手にゆだねたり投げ出したりするのではなく、再度、自分でできるところまで彼らとかかわり続けることしかできないのだろうと思う。自分を振り返ることを続けながら。




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